2020.05.14

なり方、やりがい…レアなおシゴト図鑑 | Vol.15 映画ライター

世の中にはさまざまなシゴトがあるけど、なかには就職情報サイトではなかなか見つけられないものも…。そんなちょっと意外なシゴトについている社会人を紹介します。

読者に映画の面白さを伝える
映画ライター

よしひろまさみちさん
プロフィール●1972年、東京都生まれ。法政大学文学部教育学科心理学コース卒業。大学在学中から出版社でアルバイトを始め、雑誌編集に関心を持つ。音楽誌、女性誌、情報誌などの編集部を経て28歳で独立。現在は映画・ドラマをメインに執筆している。雑誌『sweet』『otona MUSE』(宝島社)の編集・執筆を担当するほか、『an・an』(マガジンハウス)『SPA!』(扶桑社)『oz magazine』(スターツ出版)など多くの媒体で活躍。日本テレビ『スッキリ!!』で月1回レギュラーで映画紹介を担当するなど、テレビやラジオにも出演している。

 

映画関連の仕事に就きたいと考えたことはなかった

 

――映画はもともと好きだったんですか?

好きか嫌いかと問われれば、好きです。父が映画会社に勤務していて、子どものころは親にチケットを渡され、毎日のように映画館に行っていました。両親が共働きだったので、放課後、息子に映画館で映画を観せておけば、悪さもしないし、安全だと考えたんでしょうね。そんな環境で育ったので、映画はずっと身近にありました。

ただ、映画関連の仕事に就きたいと考えたことはなかったです。そもそも、学生時代はなりたいものが漠然としていました。臨床心理士を目指して大学に入ったのですが、専門課程に進むと、自分には向いていないと気づいてしまって…。

すでに3年生になっていたので、大学は卒業することにしましたが、臨床心理士にはなれそうにもない。学費を稼ぐために在学中にしていた仕事に役立ちそうな資格として、秘書検定やワープロ検定の資格を取ってはいましたが、就職に有利な条件は何ひとつなく、将来について具体的なイメージは何もありませんでした。そんなときに、仕事の契約が切れ、たまたま次に見つけた仕事が、パソコン雑誌の編集部のアシスタントでした。

当時はパソコンの普及期で、私も使い始めたばかり。雑誌のテーマに興味があったこともあって、結構のめり込み、雑誌編集の仕事に面白さを感じました。その編集部での仕事は短期の契約でしたが、「次を探さなきゃ」という時期に、愛読していたゲイ雑誌のイベントに参加する機会があり、編集部の方々に「うちに来ない?」と誘われて働くことに。楽しかったのですが、編集の仕事をやっていくなら、セクシュアルマイノリティ向けの雑誌だけでなく、ほかの雑誌も経験してみたいと考えていたときに、タイミングよく音楽関連の出版社から声をかけていただき、アルバイトとして働き始めて、大学卒業と同時に正社員になりました。

 

――現在はフリーランスとしてお仕事をされていますが、独立されたのはいつごろですか?

業務委託契約を結んで会社で働きながらフリーランスの仕事もしていた時期が20代半ばに数年間あって、完全に独立したのは28歳のときです。当時、私の周りでフリーランスのライターとして活躍していた人は、30代半ばまで出版社でキャリアを積んで独立というパターンがほとんど。自分が20代で独立するとは思いもよりませんでした。

会社勤めが当然という両親のもとで育ち、自分は会社で働くことに向いていると思い込んでいましたしね。でも、大学卒業後に就職した音楽関連の出版社は社風も仕事も合わなくて退職。その後、いろいろな方の紹介を受けていくつかの出版社で働きましたが、会社のM&Aや部署の廃止などで契約が打ち切られることが続き、20代後半になってようやく「私は会社勤めに向いていない」と悟りました。それでも、収入が安定しないフリーランスの仕事だけでは生活できなかったので、業務委託契約を結んだ会社の仕事も継続。数年後、会社の年俸と、並行してやっていたフリーランスの仕事の収入の額が等しくなったのを機に独立しました。周囲には反対されましたね。とくに、父は終身雇用が当たり前という時代の人でしたから、独立2年後に父が他界する直前まで勘当同然でした。

 

映画ライターとしてやっていく覚悟ができたのは、30代後半だった

 

――映画やドラマについて執筆されるようになったのは?

20代半ばに映像ソフトの業界誌の編集部で働いたのが、きっかけのひとつではありました。当時作っていたのは、ビデオやDVDのメーカーから集めた情報をまとめて、レンタル店の仕入れに活用してもらうための雑誌でした。編集部の方に誘っていただき、なりゆきで始めた仕事でしたが、これが思いのほか、私に合っていたんです。

理由は、映画が私にとって「一番好きなもの」ではなかったからです。先ほど、映画が好きとお答えしましたが、三度の飯を抜くほど好きかというと、そうではありません。私が三度の飯を抜くほど好きなのは、音楽です。

 

――新卒で就職されたのも、音楽関連の出版社でしたね。

好きなことだから、自分に合うと思ったのですが、違いました。趣味なら好きなときに、好きなジャンルの音楽だけを聴いていればいいけれど、仕事となるとそうはいきません。時間に追われながら、新譜のCDを片っ端から聴く毎日は、苦行以外の何物でもありませんでした。退職した理由はいくつかありましたが、最も大きかったのは、音楽を嫌いになりたくなかったからです。

それに対して、映画の場合は音楽のようには思い入れがなく、程よい距離で向き合うことができました。加えて、たくさん作品を観ていて、知識の土台があった。フリーランスで仕事を始めた当初は、とにかく稼がなければと映画やドラマ以外にも、飲食店の取材から旅のガイド、ゴシップ記事まで幅広く書いていましたが、知識や人脈のあるジャンルの方が、圧倒的に作業がラクで、量産できるんです。それで、自然と映画やドラマ関連の仕事が増えていきました。なりゆきのようなものだったので、気持ちがなかなか定まらず、「映画ライターです」と人に言ってもいいかなと思えるようになったのは、36歳のときです。

 

――何かきっかけがあったんですか?

まず、34歳で最後の就職活動をしたんです。35歳を超えると、出版社への再就職は厳しくなるだろうから、その前に一度「運だめし」をしてみようと考えてのことでした。フリーランスになって5年以上経ち、経験も積んだことから、若いころとは違う組織内の働き方ができるんじゃないか、とも思っていました。

そんなときに契約社員時代の上司に声をかけてもらってビジネス誌の出版社の選考を受け、採用が内定しました。やりがいがありそうで、報酬も申し分がなく、素晴らしい仕事でした。ところが、契約条件でどうしても合わせられないことがあって、断念することにしました。とても残念でしたが、結局、私の運命の歯車は会社とは合わないんだなとわかり、「これからはわき目を振らず、フリーランスのライターとしてやっていこう」と覚悟ができました。

すると、ライターとしての方向性も定まってきたんですよ。それまでは、何となく自分の専門分野は映画かなと思っていただけで、映画をどんな人たちに対して、どのように伝えることが自分に合っているのかをはっきりと意識したことがありませんでした。でも、女性誌の仕事を多く担当してきたこともあって、自分が得意でやりたいのは、マニアの人たちだけでなく、映画館にほとんど行かない人たちに映画の面白さを伝えることだというのが、見えてきた。映画ライターというのは、読者のために書く仕事なんだというのが腑に落ちてからは、迷いがなくなりました。それが、年男を迎えた36歳のころだったんです。相当遅い目覚めですね(笑)。

 

 

――現在は映画ライターとして活躍され、テレビやラジオでも映画を紹介されています。雑誌の休刊や廃刊が続くなど、厳しい環境のなか、続けてこられたのはなぜでしょう?

同業者のなかには、辞めた方もたくさんいます。一方、ベテランとして活躍している人もたくさんいて、私はまだまだキャリアが足りないと思っています。ただ、続けられた理由はふたつ思い当たって、ひとつは、借金をしてでもやっていたからかもしれません。借金はいかがなものかとは思いますが、どんな仕事も成果はすぐには出ませんから、自分への投資も必要です。私の場合、キャリアに必要な経費はちょっと背伸びしてでもケチらないようにしていました。

例えば、私が初めて英語圏の方のインタビューを担当したのは25歳のときでしたが、当時は英語がほとんどできなかったんですね。通訳がつくので、問題ないと言えばそうなのですが、英語のヒアリング力があれば、限られた時間でより深い話を聞けます。ずっと何とかしたいという思いがあり、30代後半からマンツーマンの英語レッスンに通ったり、月の半分をL.A.で暮らして語学学校に通うという生活を半年続けたりしました。ずいぶん背伸びもしましたが、そういった投資がなかったら、仕事の幅が広がらなくて、途中でリタイアしていたと思います。

もうひとつ、さらに大きな理由は、周りの人に支えていただいたからです。私は営業が下手で、今やらせていただいている仕事は全部、誰かの紹介から始まったものです。テレビ番組出演のきっかけも、仕事でお世話になった方の紹介でした。若いころは出版社に売り込みに行ったこともありますが、基本的に自分に自信がないので、アピールポイントを問われると何も言えないか、舞い上がって言い過ぎてしまうかのどちらかになってしまって…玉砕してばかりでした。私ひとりでは、とてもここまで来られませんでした。

唯一、私がやっていたのは、何かでお世話になったら、恩返しのためにできるだけのことをすること。仕事をいただいたら、仕事でお返しをして、相手と等しい関係でいられるよう心がけてきました。そのうちに周りの方たちとの関係が深まっていったように感じています。

 

――これから映画ライターを目指す人たちに、アドバイスをお願いできますか?

うーん。夢のない話をして申し訳ないのですが、映画ライターを専業でやっていくのは、収入面では相当リスキーですよ(笑)。雑誌が減っていますし、残っている雑誌もカルチャーをテーマとする記事は限られた数で、そこで仕事を得ようと思うと、私が駆け出しのころとは比べようもないくらい難しいはずです。

私が今20代で、映画について書きたいなら、本業で収入の安定した仕事をしながら、SNSやブログに手を出すでしょうね。本業の仕事にある程度やりがいを感じられて、会社に大きな不満がないのなら、映画は趣味にとどめておいたほうが確実に幸せになれます。でも、何となく入ってしまった会社で、仕事にも張り合いも感じないと悶々としているくらいなら、今は副業を認める会社も増えていますから、パラレルでやってみるのも手かもしれません。

雑誌は減っているとお話ししましたが、その一方で、今はWebのメディアがたくさんありますし、オウンドメディアも立ち上げやすくなっています。見方によっては、以前よりもチャンスがたくさん転がっているとも言えるんですよ。そのチャンスを得るには、やってみて、経験を積むこと。それに尽きます。

あと、映画以外の得意分野を持っておいたほうがいいですね。今はインターネットで簡単に情報が手に入って、映画の情報は無数に転がっています。映画マニアの人たちはそれらに常に触れているので、私たちプロでも情報量ではとてもかないません。では、映画ライターの役割は何かと言うと、無数にある情報の中から、読者に興味を持ってもらえる要素をピックアップすることだと私は思っています。そのためには、映画について知っているだけでは太刀打ちできなくて、音楽やファッション、ライフスタイルなどさまざまな方向からアプローチをしなければいけません。そのときに得意分野があると強いんです。同業の先輩にアパレル業界出身の方がいるのですが、その方は衣装にすごく詳しくて、売れっ子です。「映画好きプラスα」というのはこの仕事の条件と言えるかもしれません。さまざまな経験が生かせる仕事だと思いますよ。

 

※本文は2019年取材時の内容で掲載しております

取材・文/泉 彩子