2020.02.06

なり方、やりがい…レアなおシゴト図鑑 | Vol.1 NGO「国境なき医師団」

世の中にはさまざまなシゴトがあるけど、なかには就職情報サイトではなかなか見つけられないものも…。そんなちょっと意外なシゴトについている社会人を紹介します。

 

援助が必要な人たちを支援する
国際NGOスタッフ

松本卓朗さん

プロフィール●1982年生まれ、鳥取県出身。2003年国立米子工業高等専門学校卒業後、医療機器メーカーにエンジニアとして勤務。09年より非政府組織(NGO)「国境なき医師団」に参加し、アフリカ大陸南東部に位置するマラウイ共和国に派遣される。その後、イエメン、日本(東日本大震災)、南スーダン、イラクなど9カ国でロジスティシャンとして活動。14年、豊橋技術科学大学工学部へ編入し16年に学部卒業。19年月からは同団の東京事務局にて採用を担当するリクルートメントオフィサーとして勤務している。また、ラオスで教育支援に取り組むNPO「DEFC」の代表も14年より務めている。家族は妻と0歳の息子。妻とは彼女が運営管理をしていたシェアハウスで出会い、17年12月に結婚。新婚旅行では、3カ月かけて自転車で日本縦断をした。

 

「国境なき医師団」の現地派遣スタッフの約半数は「非医療従事者」

 

――松本さんがお仕事をされている「国境なき医師団(以下MSF)」について教えていただけますか?

1971年に、フランスの医師とジャーナリストが中心となって結成された国際NGOで、世界各地の大規模な災害の現場や紛争地域、感染症の流行地帯など緊急の医療・人道援助を必要とする地域に無償で医療を届けています。そのために日本を含め世界各地にある事務局ではリクルーティング(スタッフの採用・派遣)、証言・広報、資金調達といった活動を行っていまして、僕は2019年6月から人事部でリクルーティングを担当しています。それ以前はロジスティシャンとしてMSFに参加し、アフリカのマラウイ、南スーダン、ラオス、イラクなど9カ国での活動を経験しました。

 

――ロジスティシャンとは?

MSFのロジスティシャンの役割は、現地で医療行為を行うためのインフラ構築や、医療機器、薬品、食品などの確保・調達をすること。患者さんの搬送や、支援物資を届けるための移動手段を整備したり、医療品の管理をしたり、水・衛生の管理をします。必要であれば、病院をイチから作ることもありますし、電気がない場合は、発電機を持ってきて配線し、病院に電気を送ったりすることもあります。また、現地採用スタッフのマネジメントや育成をする役割も求められます。

現地に行くスタッフのうち、医師や看護師といった医療従事者は2018年実績で52パーセント。約半数は非医療従事者で、ロジスティシャンのほかに、人事や財務を担当するアドミニストレーターがいますが、医療行為と人事、財務以外はすべてロジスティシャンの仕事です。

 

――なんと! そんなに幅広い業務をできちゃうものなんですか?

もちろん、ひとりではできません。世界中から派遣されたスタッフやローカルスタッフ(地元採用のスタッフ)とともにチームを組み、経験や専門性によって役割を分担します。ロジスティック業務全般をオールラウンドに管理し、スタッフやプロジェクトの安全管理にもかかわる「ジェネラル・ロジスティシャン」や、物資の調達や在庫管理を担当する「サプライ・ロジスティシャン」のほかに、車両整備、建設、水・衛生、電気など各分野のスペシャリストがいて、僕は「ジェネラル・ロジスティシャン」と、電気のスペシャリストとして派遣されていました。

 

もともとはエンジニアとして定年までひとつの会社で働くつもりだった

 

――松本さんがMSFに参加されたきっかけは?

実は、もともとは人道支援やNGOで働くことにまったく関心がなかったんですよ。地元の高専で工業系の知識や技術を学んで、卒業後は大阪の医療機器メーカーでエンジニアとして働いていました。そのころの僕は何となく「ひとつの会社に入ったら、定年までずっとそこに勤めなければ」と考えていたのですが、当時、姉がカナダで暮らしていて、休暇で訪ねたときに、姉が自由に人生を楽しんでいる姿を見て「ずるいな」と思ったんですね(笑)。こんな生き方もあるんだって。その後、将来の可能性を広げるために英語力を身につけたいという漠然とした思いもあって退職し、ワーキングホリデーでオーストラリアへ。ビザが切れる前に日本へ帰って仕事を探さなければと考えはじめたころに、父から「お前に合いそうな仕事がある」とメールをもらって、MSFやロジスティシャンの仕事について初めて知りました。

インターネットで調べてみたら、英語を使う仕事だし、エンジニアとしての経験も活かせそうだなということで応募をしました。オーストラリア滞在中にバックパッカーとして2カ月間東南アジア各地を回ったときに漠然と抱いた問題意識と、MSFの方針がマッチしていたのも応募をした大きな理由のひとつです。東南アジアの旅では、たくましく生きる人たちのエネルギーに刺激を受けた一方で、貧しい生活を送る人たちの姿を目の当たりにしました。そういう世の中、世界に対して、「これでいいんだろうか」という思いがちょっとあったんですね。

 

――「国境なき医師団」が支援するのは紛争中だったり、感染症が流行している地域など安全面のリスクが大きい地域も多いです。不安はありませんでしたか?

正直な話をしますね。今の僕は、国内線の飛行機が少し揺れただけでも怖いんです。理由は結婚して子どもが生まれ、「絶対に死にたくない。何よりも家族を大切にしたい」という思いがすごく強くなったからです。でも、当時はまったく異なり、「自分は絶対に死なない」と思っていました。実際、民族間衝突が激化している地域で活動したり、落ちそうな飛行機に何度も乗ったりしましたが、まったく怖くありませんでした。根拠のない自信だったと言えばそれまでですが、当時の僕にとっては、不安よりもこの活動をやりたいという思いが先に立っていました。

 

――選考はどんな感じでしたか?

書類選考後、面接では1時間以上にわたってこれまでの経歴や、なぜ「国境なき医師団」の活動に参加したいのかなどを細かく聞かれました。その後、派遣スタッフとして登録されましたが、派遣までには国内での3日間の総合研修と、職種によっては現地の活動の運営にあたるオペレーション事務局が置かれた国で1週間の研修を受ける必要があり、僕はニューヨーク郊外でロジスティシャンの技術研修を受けました。どちらも公用語は英語です。研修は常時開催されているわけではなく、また全世界の登録者が順番に受講するので、待機期間が生じ、僕の場合は9カ月でした。活動地で車の整備をする際に役立つかなとガソリンスタンドでアルバイトをしつつ、夜は居酒屋のアルバイトで生活費を稼ぐ日々でしたが、先が見えないので、9カ月は長く感じましたね。

 

――初めての活動について教えていただけますか?

派遣先はマラウイ共和国でした。アフリカ南東部に位置する国で、アフリカ諸国の中では比較的治安が安定していますが、貧しさから衛生状態が悪く、HIVや肺炎などの病気が頻繁に発生しています。当時ははしかが大流行しており、MSFは現地の保健当局と協力し、マラウイのほぼ全土、250万人の子どもたちに予防接種を打つプログラムを開始することになりました。僕は2010年5月から1カ月間、首都リロングウェで集団予防接種プログラムに参加し、6月から翌年11月までは南部州の県・チラズルに移って、当時すでに10年以上継続されていたHIVと結核の治療プログラムに参加しました。

最初の1カ月を思い返すと、我ながら、よくやったなと感慨深いです。初めての活動で、緊急プロジェクトへの参加。僕がおもに担当したのは、現地で借りた精肉工場の冷蔵庫から集団予防接種を実施する各地にワクチンの輸送をする車両とドライバーの管理でした。ワクチンは温度管理が重要で、低温での保管・輸送が必要ですが、電力供給が乏しく、道路事情も悪い地域ではひと筋縄でいきません。ハプニングはしょっちゅうでしたし、会社員時代に部下のひとりもいなかった自分が、文化の異なる現地スタッフを覚えたての英語でマネジメントしなければいけないということで、本当に苦労しました。

現地では燃料供給が安定しておらず、ある日突然、町中のガソリンスタンドからガソリンが消えてしまったことも。このときは、現地の人たちの協力で乗り切ることができました。リーダー格の現地スタッフが一緒にガソリンを探して郊外まで行ってくれたり、いくつかの大き目のガソリンスタンドに現地の言葉で事情を説明し、ガソリンが入荷次第、一定量を確保してもらうよう交渉してくれたんです。おかげで、次の予防接種の実施日ギリギリに輸送の目処が立ち、胸をなでおろしました。

緊急プロジェクトだったので、この1カ月は休む間も無く駆け抜けた感じでしたね。一方、チラズルに移ってからは、すでに体制が確立されたプログラムに参加したので、週休2日で、勤務時間は朝9時から夕方5時まで。時間に余裕があったので、世界各国から集まったスタッフや現地の人たちと仕事以外でコミュニケーションを取ることもでき、楽しい思い出になっています。

 

国際NGOで働くには、専門性とモチベーションの両方をバランス良く持つことが理想的

 

――その後、さまざまな国で活動され、大変なこともいっぱいあったでしょうね。「辞めよう」と考えたことは?

過酷な状況を目の当たりにして「なんでこんなことが起きるんだろう」とやるせない思いになることはありましたが、大変だから辞めようと思ったことは一度もありません。MSFで仕事をする意義を感じる瞬間がたくさんありましたから。例えば、2011年11月からの半年間、南スーダンに赴任したときのこと。南スーダンはその年の7月に独立したものの、民族間衝突が頻繁に起き、病院や診療所までもが襲撃の対象となるような状況でした。そんななか、MSFの病院に病気になってフラフラの状態で運ばれてきた女性がいたんですね。その女性が数週間後に元気になったんですよ。お子さんと一緒に家に帰って行く姿を見て、うれしかったというか、「この仕事をしていて良かったな」と感じました。

南スーダンには、病院の設備や電気系統などインフラを管理する「ホスピタル・ロジスティシャン」として行き、こんなこともありました。手術室の設備管理も僕の管轄だったので、手術中の様子を把握しておきたいと医師にお願いしたところ、予定帝王切開の手術に立ち合わせてもらえることになったんですね。当日は端で医療機器の配置や人の動線などをチェックしていたのですが、医師が「タク、ちょっと来いよ」と赤ちゃんが出てくる瞬間を見せてくれたんです。僕に取っては初めての経験だったので、とても感動して。おまけに、赤ちゃんを出産した女性に見せる役割を任せてもらったんですよ。そうしたら、あの…。あくまでも僕の印象ですが、その瞬間に女性の表情が変わって、お母さんの顔になったんです。

紛争のために医療システムが機能していない地域では、清潔な環境で、適切な医療行為を出産時に受けられないために命を危険にさらされる母子がたくさんいます。南スーダンも妊産婦の死亡率が世界で最も高い水準になっている国のひとつです。僕自身は医療行為に携わりませんが、目の前のできごとを通して、援助の必要な地域に医療を届けることの大切さ、重さを感じる場面は多かったですね。

 

――現在はリクルーティングを担当されていますが、ご自身で希望されたのですか?

人事部スタッフの募集に一般の方と同じように応募し、正職員として採用されました。現地派遣スタッフは派遣期間中のみ労働契約で働くので、それ以外の期間はMSFとの雇用関係がないんです。ですから、副業・兼業をしていたり、ある期間MSFで活動をして、その経験を生かしてほかの会社やNGO、NPOで働いている人も多いです。

僕の場合は27歳で初めて活動に参加し、3年間は赴任先から帰国して数カ月旅をしたり、友人の仕事を手伝うなどして過ごしては、また赴任するという生活でしたが、2014年に大学に入り、環境工学について学びました。大きな理由はふたつあり、MSFの活動を通して、途上国のゴミ処理や排水、飲料水の供給といった環境問題を何とかできないだろうかと考えるようになったから。もうひとつは世界各国のスタッフとプライベートで話していると、「国際NGOの世界では学歴が重視されるのが現実だから、人道支援を続けていきたいなら、修士号や博士号を取っておいた方がいいよ」とアドバイスされることが多かったからです。僕は高専卒だったので、まずは学士号を取ろうと大学に編入しました。

人事部に応募したのは、子どもの誕生による影響が大きいです。MSFの活動で訪れた地域には、紛争や病気などで家族を失ったり、離れ離れで暮らす人たちにたくさんいました。家族のありがたさを以前にも増して感じ、可能な限り、家族と一緒にいたいという思いが強くなりました。今後どう変化するかはわかりませんが、今はその思いに素直に行動しようと、国内の仕事を探すことにしたんです。転職活動ではMSFのほかに、人道支援を行なっている政府機関や国外で活動する団体の安全管理部門、また国内外向けの災害時における医療機器等を扱う商社などにも応募し、内定をいただいた団体もありましたが、MSFで働くことに決めました。僕はMSF活動を通して貴重な経験をさせてもらったことにとても感謝しているので、リクルーティングの仕事を通して、いろいろな人がそういうチャンスを得るためのお手伝いができたらと考えています。

 

――最後に、国際NGOで仕事をするために必要な資質について、お考えをお聞かせいただけますか?

MSFの場合は、ある程度の社会人経験を経て培った専門性と技術、世界各国から集まるスタッフと意思疎通できるだけの英語力を持った人を求めています。また、MSFに限らず、国際NGOで仕事をするには、その団体の憲章に賛同していることが重要です。ただ、いくらその団体の考えに共感していたり、ボランティア精神が旺盛であっても、専門性や技術がないと活動への貢献ができず、仕事を続けるのが難しいです。気持ちだけが強過ぎると、活動地で思いもよらないことが起きたときに心が折れてしまう人もいます。ですから、専門性とモチベーションの両方をバランス良く持っていると理想的ですね。

それから、国際NGO活動ではさまざまな国のスタッフと協力して働くことや、現地の状況に合わせて動くことが求められるので、コミュニケーション力とともに柔軟性がとても大切です。物資面で足りないものがいっぱいあるような環境で活動するので、完璧主義だと自分自身が苦しいかもしれないですね。ある程度「なんとかなる」と楽天的であることも大事かなと思います。

※本文は2019年取材時の内容で掲載しております

取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康