2019.04.01

INTERVIEW こんな人と働きたい!  Vol.12 古坂大魔王 / お笑い芸人

各界の著名人に、これまでに出会った、プロとしてすごいと思った人、影響を受けた人など「こんな人と一緒に働きたい!」と思う人物像をインタビュー。

与えてもらえたら、やっぱり、自分も返したいって思うじゃないですか


こさかだいまおう●1973年、青森県生まれ。青森県立青森東高等学校を卒業後、お笑い芸人を目指して上京。92年、日本映画学校(現・日本映画大学)で出会った仲間とお笑いトリオ「底ぬけAIR-LINE」 でデビュー。現在は古坂大魔王としてバラエティ番組に出演、コメンテーターとしても活躍している。また、音楽活動も行なっており、SCANDAL、mihimaruGT、AAAなどとのコラボ、楽曲制作を手がけている。2016年8月、シンガーソングライター「ピコ太郎」のプロデューサーとして『PPAP』をキッカケに大ブレイク。

 

ピコ太郎が出会った「世界の大物」は、例外なく「かわいさ」を持っていた

 

――ピコ太郎さんの『PPAP』が2016年秋に大ヒットして以来、古坂さんの海外での活動も増え、2年半でのべ約20地域を訪れたとか。世界中のさまざまな人たちとお仕事をされてきて、「すごいな」と感じた人物に共通点はありますか?

僕とピコ太郎は別人ですが、ピコ太郎の出会った「世界の大物」はみんなかわいかったです。「かわいい」なんて言うのは申し訳ないほどすごい人たちなのに、謙虚で、相手をきちんと認めてくれる。愛があるんです。

例えば、2018年にピコ太郎がスペインの人気トーク&ライブショー番組にアジア人として初めて出演した時のこと。司会のアンドレウ・ブエナフエンテさんがそれはもう、ナイスガイでした。スペインでは誰もが知っているすごい人で、本来ならピコ太郎の方からあいさつに行かなければいけないのに、自分からやってきて、開口一番「会いたかった」って言ってくれたんですよ。おまけに「お互い言葉は通じないけれど、大丈夫。僕に任せて! こう見えても、僕、すごく売れているから」と。本番が始まったら、彼が言葉を発するたびに会場が湧き、ピコ太郎もお客さんに温かく迎えられてものすごく受けて、素晴らしい時間でした。

フランス国営放送の人気番組でピコ太郎が共演させてもらった、オマール・シーさんのことも忘れられません。映画『最強のふたり』の主演を務めたフランスの人気俳優ですが、出演中、フランス語のわからないピコ太郎のことをずっと気づかってくれて、本番終了後には「ピコ太郎、一緒に写真を撮ろう!」と声をかけてくれました。

 

――ツイッターで写真を拝見しました。ピコ太郎さんは、オマール・シーさんと奥さんの間で、堂々と写ってましたね。

写っちゃってましたね(笑)。古坂大魔王なら、あんなに堂々とはできません。ただ、ピコ太郎と過ごしてきて「へえ」と思ったのは、あいつね、あんなにふてぶてしい割に礼儀正しいんです。どの国でも行ったらすぐに「お会いできて光栄です」「楽しかったです」「愛しています」の3つの言葉を通訳さんから教えてもらって、人に会ったらちゃんとお辞儀をするし、相手の話を聞くときは手や足もちゃんと揃える。そうすると、みんな、まなざしが優しくなるんですよ。お辞儀や手や足を揃えるといったことは日本的なマナーで、その国の人には不思議に見えるでしょうけど、形はあまり関係なくて。敬意を表しているということが伝われば相手は受け入れてくれるし、日本でも海外でもそれは同じなんだなということをピコ太郎と外国に行ってあらためて学びました。

 


デビュー当時、先輩から「お前はかわいげがない」と諭されたという。「体も大きいし、当時はすごくイキがっていたんです。先輩の言葉も『かわいさなんていります? 面白ければいいでしょう』と流していました。でも今は、芸人に一番大事なのはかわいさだと思います」。

 

 

「打算」は自分が思っている以上に顔に出る

 

――ピコ太郎さんが敬意を持って人に接しているから、相手も愛情を返してくれたんですね。

そういう面もあったかもしれませんが、超一流の人の愛って、コストパフォーマンスは度外視なんですよ。相手から何をもらうかなんて考えずに、まず自分が与える。だからこそ、超一流なんですよ。仕事ってもちろん処理能力も大事で、「いい人だけど、処理能力はゼロ」だと「一緒に働きたい」という人はあまりいませんが、処理能力がどんなにあってもせいぜい1.5流にしかなれない。処理をする仕事そのものを生み出せるのが超一流で、ゼロからイチを作る仕事というのは「周りを楽しませたいな」「みんなをちょっと機嫌よくしたいな」というサービス精神が旺盛でないととてもできないと思うんです。

超一流といえば、僕にとって真っ先にお顔が思い浮かぶのはビートたけしさんです。お笑いトリオ「底抜けAIR-LINE」でデビューして間もないころに『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に出演させていただいたことがあるのですが、何をやってもまったくウケなかったんですね。すっかり落ち込んで、打ち上げでもうなだれていたら、たけしさんが広い会場の向こうの方からわざわざ若手の席までやってきて、僕に「お兄ちゃん、いくつ?」と聞くんです。「19です」と答えると、「19でテレビに出てるなんてすげーな。俺なんて19の時はストリップ小屋にいたよ」「兄ちゃんたち、俺に勝ってんな」と言ってくれて。

ありがたくて、なんだか恐縮していたら、いきなりお付きの芸人に「ちょっとお前、肩を叩け」と言ってわざと自分の肩を殴らせて、「そう意味じゃない。ひでーな。俺なんてこんな扱いなんだよ」とみんなを和ませようとしてくれたんです。そんなことをされちゃったら、憧れないわけがないですよね。かっこいいな、自分も与えられる人になりたいなって。だって、与えてもらえたら、やっぱり、自分も返したいと思うじゃないですか。

 

――そこにコストパフォーマンス、打算はないと。

打算をしちゃうこともあるかもしれないですよ。でも、打算って本人が思っている以上に顔に出ます。もう、見えちゃっているんですよ。「あなた、アカデミー賞取るほどの演技力があるの?」っていう話です。素人の芝居で他者をだませるわけがないんです。だったら、直球で、自分が与えられる限りのものを与えようって、僕、古坂大魔王も最近思うようになったところです。

 


誰かと一緒に仕事をする時は、必ず相手の近況を調べることにしている。「現場で会った時に、『この間ブログに書いていらっしゃったあれ、おいしそうですね』と話すと、相手との距離が縮まる。自分に関心を持っているんだなと喜んでもらえるから、楽しいんです」。

 

 

「転校生」を脱するまでは、ひとつの仕事を続けてみた方がいい

 

――ただ、自分が与え続けても、誰かに受け取ってもらえない、なかなか認めてもらえないということもありますよね。

まさに僕がそうでした。僕の場合はきっと、芸人を笑かすことが好きだったんですよ。芸人というのは子どものころからクラスで面白いことをしてきたり、意識を持って面白いことを見てきた人たちなので、お笑いの感度がものすごく高いんですね。どんな人でも笑うようなベタなことをしても絶対に笑わない。だけど、僕が好きな、予定調和を壊すような笑いを楽屋でやると、すごく笑ってくれるんです。それが僕にはうれしくて、ただみんなを笑かしたかった。

でも、当然ながら、そういう笑いはお客さんにはなかなか理解されないんですよ。だから、まったくウケない。見かねた「くりーむしちゅー」の上田晋也さんが「お前、何でお客さんに受けるようネタをアレンジしてこないんだよ」と言ってくれましたが、当時の僕は芸人には受けるネタをお客さんの前で変えることの意味がわかりませんでした。「わかる人がわかればいいんだ」って腐っていたんですね。

でも、ピコ太郎の騒動(ブレイク)を経験してわかりました。自分がやりたいネタで笑ってもらうには、まずはみんなに知ってもらわなければいけないんだって。これを僕は「転校生の原理」と言っているんですけど、クラスに転校してきた人が初日にどんな面白いことを言っても、笑いは起きません。一方で、クラスの人気者が同じことを言えば、ドカンと笑う。その人のことをみんなが知っていて、心を開いているからです。じゃあ、知ってもらうには、まず何が大切か。礼儀と笑顔だとピコ太郎から学びました。人間関係を築いて、相手が求めているものを知り、それを与える。そうすると、相手も「どうもありがとう」と受け取ってくれるんです。

 

――最後に、若い世代の人たちに伝えたいことがあれば、お話しいただけますか?

今の若い人たちは礼儀正しくて素晴らしいですけれども、「『石の上にも3年』は根性論に過ぎない」と切り捨てるような風潮が気になっています。確かに「自分の好きなことをやって、ダメなら、次に行けばいい」というのは間違っていないのですが、見切りが早過ぎる傾向があるような気がして。好きなことをやったり、職場で発言力を持つには、やはり「転校生の原理」で、周りとの関係性を築いて、相手が求めているものを与え、まずは「転校生」を脱しなければいけないんですよ。そのためにはある程度の時間が必要なはずです。だから、よほどのことがない限り、1年や2年でやめない方がいいかなと僕は思います。

 

――古坂さん自身は売れない時期が続いた時に、やめようとは思いませんでしたか?

僕はよくこういうインタビューで「大変な時期もありました」と言うんですけど、「つらかった時期」がなかった。お金がなくて家賃も払えないし、飯も食えないし、女性にもモテなかったけど、つらくなかったんですね。むしろ、楽しかった。自分がやりたいと思うことの方向に近づいているとは感じていたので。なぜそう感じられたかと言えば、お笑いの仕事がほとんど無いときも、「まあ、お前は大丈夫」と励ましてくれる人たちがいたからです。「こうしてみたら?」とアイデアをくれる人もいて、試してみたら、たまにはうまく行ったりする。そうすると、「よし、いいぞ」と前に進めたんですよね。それに、もともと「芸人はすぐには売れないものだ」と思っていたので、貧乏も芸人らしい気がして楽しかったんです。

ただ、今と違うのは、インターネットがまだ普及していなくて、SNSもなかったんですよ、当時は。インターネットがあったら、同世代の平均値が何となく見えて、「みんなは車を買って、結婚し、家も持っているのに」と焦ったかもしれない。でも、当時はなかったから、芸人仲間の暮らしぶりだけを見て「まあ、こんなものだろう」と希望を持ち続けることができました。だから、若い人たちに伝えたいのは、データなんて見なくていいんですよってこと。見なかった方がかえってうまく行った僕のような例もあるわけですから。それに、データなんて昨日までの数値を集めたもの。今日役に立つかはわからないです。

もうひとつ、今はインターネットの影響もあってか「評論家」が多いですけど、評論家に大金持ちはいないです。勝ちに行きたいなら、評論するよりも評論される人になった方がいいと思いますね。お笑いで言えば、ボケ担当になった方がいい。本当にプロの芸人はツッコミ担当でもボケられるけど、評論家はツッコミしかできない。誰かがボケてくれないと、存在できないんです。ボケて滑ったら、散々なことを言われることもあるし、ウケてもさらにツッコミが入る。それでも、ボケた方が人生においてはトクだと思います。どんどん発言して、どんどん失敗して、どんどん新しい人と会う。自分から動いて、経験を積み重ねた人の方が、待っているだけの人より強くなれます。だから、若い人たちにはボケることを怖れないでほしい。

つい熱く語ってしまいましたが、僕は若い人を見て「すげー!」と思うのが好きだし、思いたいんです。若い人には自分の好きなことをとことんやって、熱を持ってほしい。熱を傾けることで愛が生まれるし、その姿を見る者を惹きつけて、周りからも愛が集まります。「何となく仕事をして、適当に暮らしていければそれでいい」と考えるのは、もったいないですよ。熱を持つことにおいて、若い人たちは全員、天才なんだから。

Information

古坂さん初の著書『ピコ太郎のつくりかた―今、初めて明かされる22のメガヒットの法則―』(幻冬舎)では、『PPAP』がなぜ世界的にブレイクし、「ピコ太郎」がなぜ世界で愛されるのか、その秘密を明かしている。「自己評価より他者評価」「見えないものを見せる力」「バズる3条件」などあらゆる読者に役立つヒントが満載。

 

 

取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

 

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